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西村邸の想いと、愛すべきクラフトマンシップにふれる読み物です

映画の台詞が教えてくれる「本当に大切なもの」と歳を重ねること

こんにちは。5月も最後の週末です。
この気持ちのいい季節に、西村邸を多くの人に感じていただけなかったことは本当に残念ですが、変わらずここに在れば、来年またその日が来るでしょう。

 

さて私事ですが、今日2020年5月29日で34歳になりました。

友達には冗談めかして「22歳で精神年齢止まってるんだよね…」と言ったりしますが、そこからさらに一周り歳をとったことになります笑

 

身体の変化について言えば、それこそ20代の頃と変わった感じがありません。もう15年以上、体重の大きな増減はないはずです。
相変わらず、ご飯は少なめ派で、ラーメンはほとんど食べず、甘いものが好きです。走るのが好きで、腕立て伏せが苦手なのも、10代で部活をしていた頃から変わりません。有難いことだなと思います。(営業縮小のおかげで、普段よりトレーニングがはかどっています。)
聞くところによると、身体の曲がり角は34歳に来るという説もあるらしく、戦々恐々としながら暮らしています笑

 

せっかくの機会なので、今日は「歳を重ねる」ことについて書いてみたいと思います。

 

これについて考えるとき、最初に頭に浮かんでくる、一つの台詞があります。
『怒り』という映画の中で語られる、綾野剛が演じる青年の台詞です。

https://www.toho.co.jp/movie/lineup/ikari-movie.html

 

「お前は大切なものが多すぎる。本当に大切なものは増えていくんじゃない、減っていくんだ。」

 

綾野剛の役なので、そんなに歳を重ねている人物ではありませんし、劇中では年齢とリンクして語られる台詞でもありません。でもぼくは、この精神がそのまま「美しく歳を重ねる」ことなのではないかと考えています。

 

人間は「時間の長さ」を感じるとき、自分がこれまで生きてきた時間と比較して、相対的に感じてしまうのだそうです。同じ1年でも、10年しか生きていない小学生にとっては人生の10分の1であるのに対して、34年生きたおじさんにとっては、わずか34分の1でしかない。こういうわけで、おじさんたちは「30代なんかあっという間やで!!」と感じるのだそうです。なるほど笑 あくまで相対的に、感覚的に、という話ですよ。

 

だとすると「歳を重ねる」というのは、それこそ坂を転がるように加速度的に、日々の時間の余白が失われていくことなのかもしれません。

でも人間の欲というのは怖いもので、そんな時間の中でも、無意識により多くのものを抱え込もうとしてしまう。お金、モノ、仕事、人間関係…ただでさえ、一つひとつのものと向き合う余白は少なくなっているのに、その中であれもこれもと「大切なもの」を詰め込もうとする。苦しくなるのも当然かもしれません。

 

西村邸の茶室は、今年97歳になります。

がらんと何もない空間に身を置いてみると、見掛け倒しのものは残らない、大切なものだけがこの場所に残っているんだ、と感じさせられます。
雪玉のように転がりながら抱え込んでいくのではなく、岩石のように転がって角が取れ、大事な真ん中の部分だけが残る。
いまの西村邸はそういう場所だし、これからもそう在り続けられるよう、一緒に歳を重ねていきたい。そういうふうに思うんです。

 

断捨離という言葉もすっかり定着しました。次から次へといろんなものが降ってくる世の中ですが、大切なものを厳選して、しっかりと向き合う人生を送っていきたいですね。

 

まだまだ若輩者もいいところですが、こんなことを考えながら、35年目もゆったりと暮らしていきます。引き続き、温かく見守ってやってください。

今日も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。