クラフトマンシップとの語らい―第2回 庭師、茶道家・土屋裕さん(後編)
土屋裕さんとの対談、後編です。
前編では、土屋さんが、県外から奈良に引っ越されてくるまで。修業時代のお話を伺いました。
後編では、現在のお仕事のスタンスや、奈良とのかかわり方について伺っていきます。
―古川先生のもとから独立されてからのお庭の仕事は、奈良が中心ですか。
「そうですね、他の地域は、呼ばれたら行くくらいの感じで。」
―庭造りに、地域性みたいなものはあるんでしょうか。
「気候がありますからね、まず植えるものが変わってきます。あとは、石が違いますね。京都や奈良で見るような、ごつごつした大きい石は、東京にはないですからね。」
―なるほど、地層ですね。面白い。それこそお茶のような、流派みたいなものはないんでしょうか。
「いや~それはないでしょうね。作家性というか、個人個人のものですから。」
―土屋さん自身の個性というか、特徴は、どういうところに出ると考えられていますか。
もともとエンジニアだったということで、理系っぽさとかあるんでしょうか。
「うーん、理系っぽさは、あんまりないかな。数字に強いとかって言うくらいです。」
―庭造りで数字を使う場面って、結構あるんでしょうか。
「ゼロではないですよね、長さを測ったりはしますし笑
でもまぁ、私はきっちりやるタイプではないかな。もともとエンジニアをしていたときから、あいまいなままで、もやもや進めていく感じがあったので。だから、庭もいけるんじゃないかと思ったんですよね笑
設計とか建築とかの道を考えたこともあったんですが、なんかちょっとちがうな~と思って。いま、ご一緒する設計士さんのお仕事を見ていても、『これは自分には無理だな。』と思いますね。タイプじゃないです。仕事の幅が広いですしね。構造から入って、扉の引手までやるでしょ。すごいですよ。」
―ぼくも本当にそう思います。じゃあ、感覚派という感じですね。
「そうですね。事前に完全な設計図があってそれを作っていくというものではないと思っています。大まかな方向性はあるものの、具体的には現場で、その場に合う感じで作っていく。そして出来上がった時にも、場になじんで、前からこの庭はこうだったと思えるような庭が理想です。」
―なるほど。そこが土屋さんのスタイルとも言えるんでしょうね。今回、西村邸のお庭を作っていただくにあたっても「石や木は、できるだけここにあるものを使って欲しい。」ということだけ、唯一ぼくからリクエストさせていただきました。
「そうですね。そこに元々あったものを活かすっていうのは、杉本さんからのリクエストがなくても、絶対そうしたでしょうね。」
―ご自宅のお庭も、そういう意味で、場所になじんでいますよね。この竹林なんかも素敵です。やっぱりもともとあったものなんですか。
「ここに越してきて5年になります。その最初のときも、地主さんたちから、『さぞ立派な庭をつくるんでしょ?できたら見せてくださいね!』と言われたんですけど、必要がないんですよね。むしろない方がいい。
ここは、引っ越し先を探していた時、別の物件を見に来た帰りに、たまたま見つけた場所だったんですよ。ご近所のおじさんに『どなたが管理されているんですか?』って聞いたりしてね。
この隣の竹林なんかも、触らないと、どんどん伸びて倒れてくるでしょ。負荷のかかる土地なんですよね、人によっては。
そこに、こういう仕事をしている私が『いいねぇ。』って言って越してきて。竹林も、最初こそ、トラックの荷台に山盛り2台分切り出しましたけど、そこからゆっくり手を入れて、だいぶきれいになったんですよ。春にはタケノコを採って、お裾分けしたりしてね。そういう意味では、地主さんたちともいい関係ですよ笑」
―素敵ですね。そういうふうに得意なことを活かして、地域の人と関わりあえるっていうのは。
「そうですね。名古屋では、なかなかそういうものに出会えなかったんですよ。地の人との縁がなかったんでしょうね。
いま仕事でよく組む人と一緒くたに、奈良県外の人からは『チーム奈良ですね!』って言われたりもしてね。そういうのも嬉しかった。例えば京都ぐらい大きくなると、そういうふうにはつながらないですから。」
―良くも悪くも、狭いですからね笑 じゃあ、奈良は気に入ってくださっているんですね。
「奈良、好きですよ。最初に奈良に住めるってなったときには嬉しかった。よく言うけど修学旅行の地なんですよ。そこに住めるの?って。やっぱり、特別なことですよね。その気持ちは、いまもそんなに変わりません。
奈良も含めて、関西にはちょっと『淀み』がある。それもいいですね。東京は風通しがいいですけど、浮足立っているというか。地に足ついていないというか。こっちはみなさん、土の上に立っているなという感じがします。地の人っていうのは、昔の奈良を知っていて、たぶん今後もここにいるであろう人ですよね。そういう人の重さというか。
西村邸で茶会をさせていただいたときに来てくれた、町内のおじいさんはすごかったなぁ。91歳の方でしたか。開口一番、『ここが質屋でなぁ!』って。ぼくらが人づてに調べて辿りり着いたようなことを、当然のようにご存知でいらっしゃる。
そういう地の人と、我々のような余所者、それぞれのカラーとか、役割がある気がしますね。」
―ぼく自身も、これから地域に新しい人が増えていく中で、「地元の若者」としての役割を、まだ薄々ですが、感じたりしていますね。
これからの活動、お庭とお茶のことは、どのようにお考えですか。
「年齢がありますし、庭の仕事のやり方は変わってきますよね。監督になりたいな~もう笑」
―笑 いわゆるお弟子さんはいらっしゃらないんでしょうか。
「いない。最近公言しているんですよ、弟子が欲しいって笑 いまは横のつながりで職人仲間に手伝ってもらえますけどね。でも弟子ができると、仕事をとってこないといけないからなぁ。」
―そうなんですよね笑 ぼくも、早く人を雇えるような店になればな、と思いながらです。
自分に合う形で続けていけたらな、という感じですかね。
「そうですね。庭の仕事はどうしても、現場ありきですから。県外に現場があれば、その土地のためにやりますから、奈良に貢献しよう!みたいな感じとも、ちょっと違うかもしれません…
そういう意味で言うと、お茶の稽古は、地の人と関係しながら続けられることですよね。」
―なるほど、そうですね。お披露目茶会の時も、地域のいろいろな年代の方が来てくださいましたよね。若い人も和やかに参加できて。お茶室から笑い声がするのが、ぼくは本当に印象的でした。
稽古も、固く「〇〇流」みたいには、されてないんでしょうか。
「そうですね。ある型があって、最初はその型を覚えることが近道なのですが、それが
『ルールがバイブル』みたいになってしまうと、そっちには行きたくはないな、と思ってしまって…そういうところは、これからも変わらないと思います。」
―なるほど。土屋さんが、軽トラの荷台で野点(のだて)をされている写真を見たことがあります。斬新だなぁ!と思わず笑ってしまいました。
「あれは評判がいいんですよ笑 毎年6月に、京都の吉田神社の境内で、もう4回やらせていただいています。あとは、年明けに高畑の空櫁さんで「こたつ茶会」というのも、やらせてもらっていますね。」
―西村邸のお茶室でも、定期的に開催できるようになると嬉しいです。
「場所が活きますよね。もちろん工事の時から現場には入っていましたけど、お茶会をやって改めて、建てられた方は、つくづく趣味人だなぁと思いましたねぇ。建物というか、庭の配置というか…いわゆる伝統的な町屋、うなぎの寝床、っていうだけではないですよね、あの家は。」
―ありがとうございます。泊まった宿で、お茶会をやっていたら面白いだろうな、というのもありますし。
そういうのを日本の若い人に、ちょっとずつ伝えていければ。幅広い層に拡がったうえで、なにか残っていけばいいなと思いますね。
「私なんかも『昔は~」なんていう世代ではないんですけどね。だけどやっぱり、さらに若い人を見ると、さらに知らないこともあるし。
どちらかというと「こうだったんだよ!」っていうんじゃなくて「こうだったらしいよ〜」みたいな形で伝えていきたいですね。」
―そうですね、やっぱりそれぐらいのトーンの方が受け入れてもらえそうに感じます。
「昔こうだったから、というのとは関係なく、新しく出会う。新たに、ああいう古い建物に出会って、好きだな、というふうになればいいんじゃないですか。」
―そうですね、ありがとうございます。またいろいろ勉強させてください。
前回お話を聞いた逢香さんや、ぼくのような、比較的若い世代にとって、大先輩にあたる土屋さん。そういう方が、おおらかなスタンスで、古いもの、本来あるものの良さを教えてくださるというのは、とても心強く感じます。
当日同席頂いていた奥様-土屋美恵子さんも、自身で綿花の栽培をされるところから始め、昔ながらの手法で糸を紡ぎ、布を織り、生活道具や洋服を作るという活動をされています。奈良の風土や歴史にも触れる、楽しいお話を聞かせていただけたので、また紹介したいと思います。
素敵なご夫婦の、穏やかでのびやかな活動に触れる機会―またいずれ西村邸で設けられる日を、ぼく自身も楽しみにしています。
次回の「クラフトマンシップとの語らい」は、年明け、少し時間は空くと思いますが、また魅力的な先輩にお話を伺う予定です。楽しみにお待ちいただければ、嬉しいです。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。