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西村邸の想いと、愛すべきクラフトマンシップにふれる読み物です

クラフトマンシップとの語らい―第2回 庭師、茶道家・土屋裕さん(前編)

「クラフトマンシップとの語らい」2回目です。

今回のお相手は、庭師・茶道家の土屋裕さんです。西村邸のお庭を整えてくださった庭師であると同時に、最初のイベントである【お披露目茶会】にてお点前を披露してくださった、茶道家でもあります。

奈良町周辺の様々な施設で庭造りのお仕事をされながら、独自の飾らないスタンスで、お茶の稽古・茶会を開いていらっしゃいます。

ご自宅は、山陵町(みささぎちょう)という、奈良町から少し離れたところにある、少し山間の静かなエリアにあります。その中でも、竹林や森に囲まれた一層静かな場所で、織物を制作される奥様と暮らしておられます。今回は、そのご自宅にお伺いして、お話を伺ってきました。

 

 

―本日はよろしくお願いします。

お生まれは鎌倉だという話を以前お聞きしましたが、まずは奈良に越してきた、きっかけをお聞かせいただければと思います。引っ越してこられて、どれくらいになりますか。

 

「16,7年ですかね。その前住んでいた名古屋は15年くらいなので、最長記録になりました。

きっかけは仕事ですね、庭仕事。30代の半ばまで、名古屋では会社勤めをしていたんですよ。鉄鋼メーカーで、いわゆるエンジニアの仕事です。」

 

―意外です!全くの畑違いですね…

 

「入口はお茶なんですよね。お茶を若いころから趣味でやっていました。それが好きで、自分に合うんですね、楽しくて。

それで、お茶に関係することで、生業になる仕事を何か見つけたいと思って、いろいろ探していました。庭っていうのは総合芸術、職人系の仕事で、生業として面白そうだなと思い、選んだんです。

杉本さんは、いまおいくつですか。」

 

―33歳です。

 

「私が庭を選んだのは35歳のときでした。

35で職を変えるっていうと、ちょっと躊躇しますよね。自分のやれることと、やれないことが、だいぶわかってきている年代ですし。

でも庭は、それまで縁はなかったのだけど直感的にやれると思ったんですね笑

そうか庭か、と思って。まだまだネットもなかったので、図書館に行って、専門書なんかを調べるわけです。そこで、のちに師匠になった、古川三盛という人が書いた本に出合いました。

いわゆるハウツー系の本がいろいろあった中で、古川さんの本はとても情緒的に書かれていて、このひとおもしろいな~と。まずは、話だけでも聞かせてもらおうと思って、京都に住んでいらした古川さんにあてて、最初は手紙を書きました。『いついつ電話をします』って。

そしたら京都に一度行かせてもらえることになって。

いざお会いしたら、こっちは緊張するけど、話もそんなにもたないし。庭仕事って何ですか?って聞いても答えようがないしね笑」

 

―その場で弟子入りしましょう、ということになったんですか?

「気があるなら来たらいいよ、と言ってもらったんですよね。わたしは、話を聞こうと思っていたけど、まさか入るなんて思ってないから。名古屋に帰ってからも半信半疑だったんですけど、一回仕事させてもらえませんか、って聞いてね。そのとき、たまたま和歌山に泊まりの仕事があって、行ったんですよ。それが年末だったかな。その後、3月いっぱいで名古屋の仕事はやめて、本格的に弟子入りしました。」

 

―トントン拍子ですね。どれくらいの期間、古川さんのところで修業されたんですか?

 

「5年くらいです。」

 

―そのタイミングで、名古屋からお引越しされたわけですか?

 

「そうですね。古川さんに、どこに住みましょう?って相談したときに「奈良がいいよ。」って笑 古川さんは京都に住んでいたんですけど、仕事は奈良が多いのです。天理(奈良県天理市)に仕事用の倉庫があったりもしてね。その倉庫の近くに住んだらどう?って。3年ほど、倉庫の管理人みたいなことをしていました。他の弟子仲間もほとんど奈良に住んでいましたね。」

 

―お弟子さん、何人くらいいらっしゃったんですか?

 

「私が入った当時は7人いました。弟子に行ったのが、さっきも話したように35,6の頃だから、年下の先輩がたくさんいるだろうと覚悟して行ったんですが、実際居たメンバーは、同年代とか年上の人も多くて。」

 

―じゃあ30代40代で志す方も、少数派ではないんですね

 

「そうですね。かと思えば高校を卒業して来ました、みたいな人もいて。面白いですよね。

合う人には楽しい仕事だと思います。

古川さんは、普段は非常におおらかな人なんですけど、やっぱり現場に入ると結構厳しくって。やめていく人も、いました。指示は出すけど、なぜそうするか、みたいな意図は話さないタイプだったんですよね。」

 

―その中で5年続けられたんだから、土屋さんには合っていたんでしょうね。

 

「まぁそうかもしれないですね。私も当時は、古川さんの指示に深く突っ込むことはしてなかったんですが、いざ自分でやり始めた時に、つくるものがなんとなく似てくるんですよね。明確にインプットされているわけではないけど、しみついているんでしょうね。いい師匠につけたと思っています。」

 

―その間、お茶の稽古なんかは?

 

「もう全然!最初は寸暇を惜しんで仕事をしていました。

慣れてきて、自分でも少し仕事をいただけて、余裕なんかも出てきたあたりで…たまたまなんですよ。奈良の別のところに引っ越して、そこの大家さんが、お茶の稽古を新しくはじめると言うんで、一緒にします?と声をかけてもらって再開しました。」

 

―すごい偶然!目指していると、いい機会が巡ってくるものですね。

 

前編はここまで。後編では、土屋さんと奈良とのかかわりや、庭造りについて、さらに深いお話しをお聞きしていきます。