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西村邸の想いと、愛すべきクラフトマンシップにふれる読み物です

クラフトマンシップとの語らい―第3回 一刀彫作家・ヒガシダモイチさん(第1章)

こんにちは。2回目から少し時間が空きましたが、『西村邸』杉本雄太によるインタビュー企画【クラフトマンシップとの語らい】第3回です。

今回のお相手は、奈良一刀彫作家のヒガシダモイチさん。2019年末に西村邸で、大阪のクリエイターさん達を招いての、体験会&展示会を開催してくださいました。(当日の様子はこちら。)

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お爺様から続く工藝作家の3代目でありながら、柔軟な感性を持つモイチさんの人柄は、ご自身のブランドNARADOLL HIGASHIDAの、親しみやすい世界観にも現れています。

前回インタビューした庭師・土屋さんと同じく敬愛する大先輩ですが、モイチさんは、普段からよりフランクに意見をくれる、アニキのような存在。インタビュー当日もついつい話が弾み、4章にわたる、ロングインタビューになりました…(笑)。
特に、ものづくりをして暮らしている方や、ぼくのように何かを作り始めたばかりの方には、気づきがあるはずです。ゆっくりとお楽しみくださいね。

 

 

“使い手不在”のおひな様を変えたい

杉本 ―今日はよろしくお願いします。これまでもいろいろお話してきましたが、こういうふうに改めてインタビューとなると、緊張しますね(笑)。

 

モイチさん 「ほんまやね(笑)。ボクから杉本君に聞いてみたいこともあるし、楽しみやわ」

 

―おぉー、ぜひぜひ。よろしくお願いします。
『NARADOLL HIGASHIDA』というブランドを立ち上げられて、大手の百貨店以外にも、セレクトショップのクレヨンハウスさんなど、東京を中心に独自の販路をつくっていらっしゃいますよね。
特に年明けからは、ひな祭りに向けた繁忙期ということで、めちゃくちゃお忙しそうでした。1月は、ほとんど奈良にいなかったとか…。(※インタビュー当日は2020年2月)

 

「そうやね。今日もバタバタしててごめん(笑)」

 

―いえいえ、こちらこそお忙しい中、ありがとうございます。
ブランド立ち上げからは、どれくらい経つんですか。

 

「2012年に立ち上げて、7年になるね」

 

―個人の作家ではなく、あえてブランド名でやっていこうと決心された、直接のきっかけはなんだったんでしょう。

 

「ボクには“師匠”が2人おって。一人は東田天光(てんこう)―親父やねんけど、もう一人は、この『NARADOLL HIGASHIDA』の名前をつけてくれた人やねん。20歳くらい年上で、焼き物の目利きができる人やねんけど、趣味で仲良くしてたのが始まりかな。
あるときふと、その人に『お前、10年後のこと考えてる?考えながらもの作ったりする?』って言われてんな。

 

そのころボクがやってた仕事って、いまとは違って完全に職人仕事。1〜2店舗ぐらいから『これ作って』って言われたものを、『はいはい~』って作って納めてるだけ。
納めたら終わりやから、自分が作ったものを誰が買って、もっと言えば、店頭でいくらで売られてるかも知らんかってん。完全に作るだけの人。それでもある程度、ご飯は食べられててん」

 

―なんだか、いまのモイチさんからは想像できないですね(笑)。

 

「そうそう(笑)。そんな時に『10年後のこと考えてるか』って言われて。『もしあの店がつぶれたら、どうなるんやろな』って考えた時、全然先が見えへんかってん。業界に入って13、4年の頃やね。親父の教えで技術自体は磨かれてたし、特におひな様は、置いくれていたお店の中でも、ボクのはよく売れててん。

 

ただ、なんせ誰が買ってるのかがわからへん…。『これはヤバいな!』って思ったね。
なんとかせなあかんと思って、まず誰が買うのか知ろうとしてんな。一刀彫に限らず、おひな様っていうものが、どういうふうに売られてて、誰がどう買うのか。
自分で確かめようと思って、百貨店とか大阪の人形屋を、嫁さんと一緒にお客さんのフリして回ってん」

 

―買い手目線での調査ですね。

 

「お店の人は、まず本格的な大きいやつ勧めてきはんねん。ほんでボクが『あっちの小さいやつと比べて何が違うんですか?』って聞いたら、『この大きいのは、伝統的なもんですから!』って言わはんねんな。
それを聞いたとき、ボクは『全然答えになってへん!!』てがっかりした。それって伝統の押し売りやん。自分はこの売り方したらあかんやろなって思った。

 

もうひとつ気になったことは、誰も使い手の若い夫婦のことを考えてへんねん。
おひな様って結構複雑な商品で、最終的な使い手は若い夫婦やけど、お金出すのはおじいちゃん、おばあちゃんやねんな。
だから、売り手は誰に向けて商売するかって言うたら、おじいちゃん達。
買い手のおじいちゃん達は誰を気にして選ぶかって言うたら、使い手よりも、”結婚相手の家の”おじいちゃん達やねん。見栄があって、なかなか小さい物は買いにくい。なんとなく立派なものを求めてはるところに、売り手の“伝統的”っていう言葉がキラーワードになるわけやな。

そういうふうに使い手不在のままやりとりが終わって、若い夫婦は送られてきためちゃくちゃ大きいおひな様見て『マジか…これどないすんねん』ってなんねんな」

 

―おぉ…もはや、ちょっとこわい話ですね。

 

「こんなことしてたら『おひな様はええから、現金でちょうだい』って言う若い人が増えるのも当たり前やと思う。おひな様絶対なくなるぞ!って思った。
だから自分でやるんやったら、使い手目線に立ったもの作って、若い人からおじいちゃん達に向かって『これが欲しい!』って言ってもらえるものにしよう、って決めてん。
そこからやね。誰に向けて発信せなあかんか、どこに置いたらそういう人に見つけてもらえるか、って考えるうちに、NARADOLLの輪郭が決まっていったかな」

 

―モイチさんらしくなってきました(笑)。
伝統工藝という業界の中で14年やってきた時期に、そういうふうに見方を変えることに抵抗はありませんでしたか。

 

「一回腹決めたら、むしろ楽になったね。
喜んでくれる人―“対象”がいて、その“対象”との距離感を測ってアプローチしていく。そういうやり方が、ボクには向いてんねんな。工藝をやってて、ひとつ自分の長所やと思うのは、性分がそこにあることかな。
ボクから見て、杉本君って自分の“モノサシ“めっちゃ持ってる人やと思うねんけど、どう?」

 

―そうですね。持っている方だと思います。

 

「せやんな。ボク、実はそういうタイプじゃなくて、すごくうらやましい。自分のオリジナリティみたいなところを、めちゃくちゃ疑ってんねん

 

―そうなんですか!

 

「ボクがなにか物事をするときには、まず“対象”があって、それとの距離感を測って自分の立ち位置を決める。ボクが持ってるのは、“モノサシ”じゃなくて…“巻き尺”かな(笑)」

 

―あぁ、なるほど。一般的な“職人“の頑固なイメージと比べると、めずらしい性格かもしれないですね。

 

 

ものづくりは神様、だけど…

―モイチさんの中で、自分の“アーティスト”と“商売人”のバランスって、何対何くらいですか? 自分の制作に没頭する部分と、人を喜ばせるために柔軟に立ち位置を変える―このふたつの折り合いのつけ方というか。

 

9対1。アーティストが1かな」

 

―おお! 振り切ってますね!

 

「長年そのバランスにはめっちゃ苦しんで、中途半端なことをやってた。せやけど、NARADOLLを立ち上げた7年前に決心したね。

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これ見て。親父が作った能人形やねんけど。
一刀彫の世界って、こういうのが最高峰やねん。ボクが見ても『すげえなぁ!』って思うねんけど、自分で作ろうっていうふうにはならへん。なんでかっていうと、これ作って誰が喜んでくれるのか、ボクには想像がつかへんからやねんな。

 

親父はしっかり“モノサシ”がある人やから、とことん自分に向き合って作りよんねん。相手がどうのこうのっていうより、自分が納得できるかどうか。アーティストの性格が強い人やから、こういうものが作れる。
でもボクは、喜んでくれる“対象”が、自分のいま見えてる範囲ではなかなか想像つかなくて…こういうのにとりかかったとしても、途中で心折れると思う。

 

もちろん、ものづくりに没頭する感覚も、めちゃくちゃ大事やで。ボクは20歳ぐらいのときにバンドで音楽やっててんけど、そのころもすごく悩んでたなぁ。
何をやっても虚しかってんけど、めっちゃワクワクする瞬間がひとつあって。何かっていうと、スタジオ出て自分の録音を聞くとき。一瞬やねんけど、自分の理想と重なる瞬間があんねん。ほんまに一瞬。5秒くらい(笑)。でも『その5秒に一生かけれる』って思ってたわ。どんな立派なこと、哲学的なこと言って否定されても、その楽しい気持ちだけは真実やった。

 

そういう体験があって、いまでも“ものづくり”はボクの神様みたいなもんやねん。自分の理想に一瞬でも触れられたとき。そのときだけは、さっき言ってた“対象”とか全部忘れてしまう。これさえあれば生きていけるっていう感覚。それを与えてくれるのが“ものづくり”やねん。
いまの弟子が志願してきたときも、『これまでの人生でそういう体験ある?』って聞いてん。『それがあったら、たぶん職人としてやっていける』って」

 

―職人っぽいですね! でもそこは1なんですね。

 

「それだけで生きていけるんが、アーティストやと思うねん。すごく憧れたこともあってんけど、ボクの場合はそこに全部入れても息が続かへんと思う。それは、さっきも言った通り、誰かに喜んで欲しいっていう自分の性分があるからやな。

 

こう言うと偉そうやけど…作家さんの中でも、その割合を決め切れない人って、案外いると思うねん。世の中にウケるものを作れたとしても、それが売れれば売れるほど、『自分がホンマにやりたいのはこれじゃないのにな』って苦しんだりとか。悩むこと自体も、すごく人間的で否定できへんねんけどね。
ボクは振り切れたから。『まずは誰に喜んでもらうかを決めよう』って。そしたら、やることは簡単やからね」

 

第1章はここまで。第2章に続きます。