クラフトマンシップとの語らい―第3回 一刀彫作家・ヒガシダモイチさん(第3章)
【クラフトマンシップとの語らい】ヒガシダモイチさんへのロングインタビュー、第3章です。
話題はいよいよ、いまの時代に“手作り”をする意義へ。それを語る中で、山村の暮らしにも踏み込んでいきます。
工藝の“気持ちよさ”は、上り坂でペダルを踏み込む力になる
モイチさん「ボクから逆に聞きたいねんけど、杉本君にとって工藝ってなに? 一刀彫や工藝にどういうイメージを持ってる?」
杉本 ―うーん、改めて聞かれると難しいですね。
「難しいよね。前に話したとき、杉本君が『西村邸自体を工藝的なものと捉えている』って話してくれたのを覚えてんねん。なるほどなぁと思って」
―ぼくの入り口は“民藝”だったんですよね。民藝って工藝の中の1ジャンルだけど、いまで言う“大量生産される生活必需品“ですよね。
あえて”工藝“っていう言葉を使うときは、もう少しだけアート寄りです。日常の余暇の部分というニュアンスがあります。
たとえば女の子の晴れ着とか。最初にこだわったいいものを仕立てて、それを直しながらお母さんから娘に受け継いでいく。こういうドラマチックな行為の流れに、すごく“工藝”を感じますね。おひな様にも、そういうところがあると思います。
『西村邸』にも、それが当てはまると考えてるんですよね。現代の住宅として必ずしも『西村邸』を選ぶ必要はないけど、あえて古い町家を受け継ぐというのは、ぼくにとって余暇的で、工藝的ですね。
「そうやね。やっぱり古い町家に住むとなると、不便やし寒いし」
―そうなんですよ(笑)。
「でもやっぱり、『西村邸』でイベントをやったときも『ええなぁ』と思った。機能的でもないし、快適かと言われると逆やけど、“気持ちよさ”があるよね。
それって工藝をやる上でも大事で。ボクが弟子に教えるときも“かっこいい”とか“美しい”っていうよりも、『“気持ちいい”感じを出して』って言ったりする」
―うーん、どういう感覚なんでしょう。
「ボクもずっと考えてんねんけど…例えば“気持ちいい”朝ってあるやん。晴れてて、空気が新しい感じとか。あと、奥さんの機嫌がいいとか(笑)。
その気持ちよさって『傘を持って歩かなくていい』とか、機能や便益から来るものではないよね。どっちかっていうと、いままでの体験とか、昔からの人の営みで培われてきた感情やと思う。
工藝品も、便利だったり機能があったりというものではないけど、なんとなく部屋に在ることで、気持ちがふっと軽くなるとか、あたたかくなるとか。そういうのが現代での価値やと思うねんな。それと同じものが『西村邸』にもあって、『気持ちええなぁ』って思ったかな」
―直接的な効果や効能で語れない価値ですよね。
「せやね。感覚の話。数字や言葉にはできへん。せやけど、気持ちいい朝の方が決まって仕事がよく進むねんな」
―奥さんの機嫌がいいからでしょうか(笑)。それって、まぎれもない価値ですよね。
「工藝とは逆に、テクノロジーの持つ価値って結果に出ると思うねん。効率が良くなったり、多くの人が使えたり。
昔は工藝も、同じように結果を見られててん。美術館で価値があるとされていた工藝品って、職人の技術の高さを謳うものが多いねんな。ミリ単位で一分の狂いもない完成品。それを『すごいなぁ』って愛でる、そういうことやってんけど。
いまはもう工業製品でも精巧なものが作れんねん。デザインがいいもの、美しいものだっていっぱいある。かつ値段も安い。
そんな完成品をふたつ並べたときに、工藝独自の価値は、果たして結果にあるのか。ボクは疑わしいと思ってんねん」
―うんうん。じゃあ工藝にとって大切なものって何でしょう。
「プロセスやと思うねんな。過程とか営みとか。
一刀彫で言うと、900年の歴史があるやんか。ウチで言うたら、親父もおじいちゃんも、もっと言ったらその先代からずっと受け継いできた根本の技法があって。そういう時間が、一刀彫には内包されてんねん。
『西村邸』も、いま見たときに、建てた当時の大工さんの営みを感じると、グッとくるわけやんか。そこが“気持ちよさ”がある」
―そうですね。改修に関わってくださった大工さんが、昔の柱を見て『これは気持ちえぇ仕事してあるわ』と口にされていたことを思い出しました。
「ボクはバイク好きやから、モーターの話で例えるで。テクノロジーって、モーターの“回転数”やと思うねんな。世の中を押し進めるスピードを担ってる部分。
ボクらや西村邸がやってることって、“トルク”の部分やと思うねん。
回転数が高いと、平坦なところではスピードが出ていいけど、坂道に入ったとき勢いがガクッと落ちる。ボクらのやってることって、世の中が上り坂に入ったときに、ぐっとペダルを踏み込む力になると思うねん」
―さっきの『仕事が上手くいく』話で言うと、“気持ちよさ“は、最初に手を付けるまでの後押しになるトルクで、テクノロジーは、手を付けた後のスピードを上げる回転数、って感じでしょうか。
「そうそう。モーターと同じように、大事なのは回転数とトルクのバランスやねん。どちらかに振り切る必要はなくて、どっちも両立できる―両立した方がいいこと。
今の時代はとにかく『回転数! 回転数!』って言われがちやん。そうしたらいろんなところに、疲れる人とか、スピードで負ける人、そもそも感覚の合わない人が出てくる。そういう人が、回転数だけの世の中から落伍して終わるのは悲しいやんか。
工藝とか手作りとか『西村邸』のような存在が、もう一回ペダルを踏むための拠り所として必要やと思うねん。
それが、いまボクが工藝をやってる理由で、今後工藝が必要とされる価値かな。仕事をしている中で、必要とされてることを肌で感じんねんな。杉本君とかもっと若い世代が、古い物を再活用することに前のめりになったりとか、“持続可能性”とかね。
ボクらの仕事も、テクノロジーと同じように世の中を押し進めるアシストをしていて、そういう意味では“最先端”やと思うねんな。これからもっと必要性は高まっていくんちゃうかな」
東京の回転数を支えているのは、奈良のトルク
―その“最先端”っていうフレーズ、ぼくも最近すごく考えています。
ちょっと話が変わっちゃうんですけど、奥大和って呼ばれるエリアがあるじゃないですか。奈良県中南部の農村・山村。そこって奈良市内よりも移住推進に積極的で、実際、都会で新しいことをしていたクリエイターさんが、どんどん入り込んでいくんですよね。ぼくはそれがすごく疑問なんです。「なんでわざわざ山奥に…」って。
同じ奈良でこんなこと言うのも変ですけど、ぼく自身は田舎暮らしに感情移入できなくて。なぜかって不便やから…。「便利過ぎないのが、逆にいい!」とかも言われますけど、人を呼ぼうっていうときの動機づくりとしては、とても弱いと思うんですよね。
その疑問を解消したくて、年に何回か足を運ぶようにしているんです。で、このあいだ行ったときに「ここはもしかしたら“最先端”なんじゃないか?」って気づいたんですよ。
「へぇ…面白いな」
―農業とか林業って、季節によって働き方が変わるじゃないですか。同時に、働き手が多いわけじゃないから、仕事を助け合う仕組みがある。
そうすると、複業とか分業が活発になるんですよね。果物を育てながら、川魚の養殖をしている人とか、ブルーベリーを育てているおばちゃんが、収穫を周りの人に手伝ってもらう一方で、自分の手が空いているときは温泉施設を手伝ったりとか。
こういうのって、いま都市部で求められている複業とか分業の、ある種の理想形じゃないか、って思ったんですよね。「え、ここにあるやん!」て(笑)。
クリエイターさんも、本業のデザインとか発信の分野で村人と関わりながら、畑を手伝ったり、建物のリノベーションを手伝ってもらったりする。クリエイションの相乗効果もあると思うんです。
働き方に限らず、いま山村・農村で営まれている暮らしは、人口が減った10年後、20年後の日本のスタンダードになる。昔は、全国の都市が東京になることを目指していたと思うんですけど、そういうふうには、もう絶対にならないですよね。
そう考えると、村の暮らしが“最先端”なんですよね。『あえて昔の生活に戻って不便を味わおう』っていうのと、『未来のことを考えるために村で暮らしてみよう』っていうのとでは、説得力が全然違うと思いました。
地に足ついた村の暮らしは、モイチさんの言うトルクの部分ですよね。同時に、村のクリエイターさんたちを支えているのは、インターネットのテクノロジーなんです。バランスですね。便利にできることは、するべきだっていう。
「ボクもそう思う。便利になる過程で何かがなくなっていくことも、仕方ないと思う。携帯電話ができたら、電話ボックスがなくなるのは当たり前やん(笑)。それって工夫の賜物やし。工夫しなくなったら、人間じゃないと思うねんな。
要はテクノロジーの使い方やんな。例えば『3Dプリンターで一刀彫を作ります』って言っても、お客さんはついてきてくれへん。せやけど、プロセスを伝えるための手段として、職人もテクノロジーを味方につける必要がある。例えばVRの技術を使って、お客さんが自宅に居ながら製品や工房を体験できるとか。そういう試みをしてはるところもあんねん。
杉本君の言うように、あえて田舎暮らしを選ぶことって『工夫をやめようぜ』みたいに語られたりもするやん。動物に戻る的な…。それって、俺は欺瞞やと思う。もし真理やったとしても、古い物の良さを原理主義者みたいに語るだけでは、世の中は変わらへんよ。クリエイターさんが奥大和で暮らすのは、工夫の一環、てことやんな。すごくわかるわ。
京都で木工芸をされている方が『ものづくりで大切なのは“てまひま”』って言わはんねん。“てま(手間)”だけじゃなくて、“ひま(暇)”もかかると。“ひま”って言うのは、時間の余裕やんな。遊びというか、仕事じゃない時間も、仕事の一部。暇を持たせることで、長い目で見た最高速が維持できんねん。
そういう“ひま”が、奥大和とか奈良にはあるんやろな。東京の回転数を支えてるのは、奈良のトルクやで、やっぱり」
第3章はここまで。第4章に続きます。